引越作業中……私は青い包みに入ったプレゼントを手に取りました。
それは、ラボでお別れ会を開催してくれた時にPIから送られたプレゼントだったのですが、バタバタしていて中身を開けていませんででした。
―― あー、これ、開けるの忘れてたな。ポートレートって言ってたけど……。
包みを開けると、PIが話していたとおり、それは大学の歴史を綴ったポートレート集でした。
―― 素敵な贈り物。
引越の作業の手を止めて、しばらくポートレートを眺めていた私は、ふと思いついて夫に声をかけました。
「このポートレートにサインをもらっておけば良かったね。」
折しも、その数日前に、PIが今年のノーベル賞候補に選ばれたというニュースが流れていたところでした。
夫からは、
「確かに。その発想はなかったな。でも、明日出国だし、残念だけど、もう遅いね。」
という返事が返ってきました。
「そうだねー。」
出国は次の日の朝。今日はアパートを引き払って、そのままホテルに一泊する予定です。
車は前日に売り払ってしまったし、「ちょっとラボまで。」というわけにはいきません。
―― まあ、しょうがないな。
私もすぐに諦めました。
けれどもしばらくして、私は一つ後悔している事を考えだしました。
それは以前、Co-PIが元気な頃に、PIとCo-PIと私達で一緒に写真をとってもらうのを遠慮してしまった事でした。
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このラボにきて最初のクリスマスパーティーで、PIとCo-PIは、ラボメンバーの子供達全員に、それぞれクリスマスプレゼントを手渡してくれました。
うちの子供達3人にも、それぞれ年齢に合わせたプレゼントを手渡してもらい、私達はとても感謝しました。
Thanksgiving Dayが終わったあたりから、あたりはクリスマースモードに入りました。 私達の働いている職場でも、PI(Principal investigator:研究室のボス)からホリデーパーティーの招待状が …
その際、他の家族達はPI/Co-PIと一緒に写真をとってもらっていたのですが、私達は
「まだ来たばかりで写真をお願いするの厚かましいかも。」
と躊躇して、結局
「私達とも一緒に写真を撮ってくれませんか?」
とお願いできないまま、御礼を言うだけにとどめました。
ところが、その後COVID-19が始まり、その間にCo-PIの体調は悪くなっていきました。
結局、COVID-19が明けて再び集まれるようになる前に、Co-PIは亡くなってしまいました。
Co-PIの後に新しくブレインバンクのディレクターになった E は、
「Co-PIが亡くなった時、僕たちみんな『もっとCo-PIとたくさん写真を撮っておけばよかった』って後悔したよね。」
と言いましたが、本当にその通りだと思いました。
PIも、今でこそ元気ですが、もうかなり高齢なので、いつ体調を崩すかわかりません。
「私、やっぱりお願いしてきてもいいかな?」
私は夫に頼みました。
彼は
「え?そこまでする?」
と驚いていましたが、結局、ホテルに行く時に私だけ別行動してPIの家に寄り、ポートレートにサインをもらってくる事になりました。
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PIにメールをすると、すぐに電話がかかってきました。
「私の家のアドレスを教えるから、直接来なさい。最後に話せるのを楽しみに待ってるわ。」
彼女から住所を教えてもらい、私は家族と別行動して、UberでPIの自宅まで向かいました。
市街地の中にある大きなアパートの前に到着して電話をかけると、PIがいつもの笑顔で出迎えてくれました。
「よく来たわね。子供達はいる?」
私が一人できた事を伝えると、
「そっか。最後に子供達にもメッセージを伝えたかったな。あなたから伝えてちょうだい。」
そう言いながら、PIは、ポートレートの裏表紙に、長いメッセージを書いてくれました。
サインだけのつもりだったので私は大変感謝して、最後にもう一度2人で写真を撮ってもらいました。
「日本でも元気でね。これからもずっと繋がって、一緒に仕事しましょう。約束よ。」
私達は固く抱き合い、私は御礼を言ってPIのアパートを離れました。
待ってもらっていたUberに乗り込み、私は夫と子供達の待つホテルへ向かいました。
Uberの窓からは綺麗な夕日が見え、それはどこまでも追いかけてきました。
途中、大きなアメリカのフラッグが通り過ぎ、夕日を遮っていきました。
―― この光景も、しばらく見られなくなるんだな。
と思いながら、私は沈んでいく夕日を眺めていました。