新しい職場に移ってから、1年が経過しました。
当初決意したことの半分も達成できていませんが、大学院から通して10年以上所属していた施設を出たことは、やはり良い選択だったと思うようになりました。
これまで当たり前とされていたことが、そうでもないと気付かされたことが何度かあったからです。
働く女性に対する、周囲の目
外に出て良かったと思った理由の一つは、「働く女性に対する周囲の目は、思っていた程厳しくない」と感じたことでした。
これまでの印象
以前の職場では、出産・育児中の女性は戦線から離脱せざるを得ない雰囲気を感じていました。
家庭の仕事の全てを奥さんに任せ、自分の時間と労力のほとんどを仕事に注いで成果を上げてきた人達。そのような人達で構成された社会では、全ての基準や制度が彼らの常識を基に作られていました。
家事・育児に膨大な時間と労力をかける女性が、彼らと同じ土俵に立つためには、さらに200%以上の力を絞り出す必要があります。
しかし、そのようにして頑張る女性に対して、上層部からの配慮はあまりありませんでした。
小さな子どもがいる状態で頑張って働けば、「家庭をないがしろにしている」かのような視線を感じることもあり、また、国内外の第一線で活躍している女性研究者に対して、「あの人は性格がキツイからね。」と語っている人もいました。
また、わかりやすいように数字で表すと、同時期に医師国家試験に合格し、同時期に大学院に入り、同時期に学位を取った男女間で、受け取る給料には大きな開きがありました。
「本来はこんな少ない給料で雇うことはありえないんだけれども、今は申し訳ない。」と断られる中、私は「自分のような人間は、研究する場所をもらえるだけでもありがたい」と思いながら、仕事を続けました。
このような環境の中、大学院で共に学んだ同世代の女性医師達の中で、今でも研究を継続する人の数は、片手で数える程度となりました。
外で受けた印象
アメリカに留学した時、私のように育児と仕事を両立させようとする女性に対して、周囲の対応が180度違うことに、衝撃を受けました。
けれどもそれは、アメリカと日本の文化の違いによるもので、「日本に帰れば、どこに行っても、以前と似たような処遇を受けることになるだろう」と考えていました。
ところが帰国後、国内のいくつかの施設の人達と話をする中で、私の印象は変わりました。
国内にも「働く女性を尊重する社会」が複数存在し、そこでは女性が、自分の長所を活かしてのびのびと働いているような印象を受けました。
そして、今の職場もとてもニュートラルな雰囲気があり、以前ほど周りの視線を気にすることはなくなりました。
私は、「狭い社会での『常識』は、隣の社会に出れば全く違うものになる」ということを肌で感じた気がしました。
ここから先は、私次第
職場を移り、私の仕事の内容も多様化しました。
アメリカの上司が日本に来てできる限りの働きかけをしてくれたこともあり、私を少し知る人達からの評価には、「これから何かをやってくれそうな人」という含みを感じるようになりました。
これから先は、些末なことが障害となる可能性は少なくなってくるのではないかと思います。
つまりは、全てが自分次第、ということです。
しかし残念ながら、「今の私はその環境を十分に活かしきれていない」と感じています。
一日往復3時間半の通勤時間、立ち上がったばかりの施設のセットアップ、人手不足、子ども達それぞれに生じる課題への対応等……理由は後付けでいくらでも作れますが、根本的には「私自身の怠慢」であると思います。
今年は、自分の原点に立ち返り、
- 毎日生じる課題を、優先順位に沿って、一つずつ順番に片付けていくこと
- 学びの姿勢を持ち続けること
- 情熱の火を翳らせないこと
を日々の目標とし、それでいて
- 周囲の人達に思いやりの心で接すること
を絶対に忘れないよう、常に気をつけながら毎日生活していきたいと思います。
1日の終わりには、これらの項目がその日どれくらい達成できたか、内省する時間を設けるつもりです。
感謝
猛省の1年ではありましたが、一つだけ、自分の中で良かったと思えることがありました。
それは「感謝」の気持ちが途絶えなかった、ということです。
諸先輩方
冒頭に少々挑発的な書き方をしましたが、以前の職場の方々は、科学者としても、人としても、とてもレベルが高く、立派な人達だと思っていました。
それは、その職場を離れたことで、より一層強く感じています。
今は、以前とは別の種類の対人関係問題が生じていますが、これまで諸先輩方から教示いただいた問題解決能力の学びを糧に、ある程度対処できるような気がしています。
夫
また、昔も今も最大限の配慮で支えてくれている夫に対しては、感謝してもしきれないと感じています。
一時、ひどい言葉を投げかけられた時期もあり、当時は「負荷がかかることで本来の表現型が出たのか」と考えたこともありましたが、今後ろ向きに考えると、「あの時は想定を遥かに超えたストレスにより、脳内にエピジェネティックな変化が起こっていたのだろう。」と思うようになりました。
17年前に出会ってから今まで、彼は私を、より高いレベルへと引き上げてくれていました。
修練医時代の深夜1時、MRI写真を前に唸っている私の隣に来て、「僕、今から知ったかぶりするけど、いい?」と前置きした上で、患者のMRI所見について詳しく解説してくれた、同期。
毎晩明け方近くまで病棟で働き、パフォーマンスが著しく落ちまくっていた私に、彼は、「これからは『午前0時までには帰宅する』という目標を建てよう」と声をかけ、効率的な仕事の仕方を教えてくれました。
彼がいなければ、私は今もやる気だけが空回り、上司から「レベルが低い」と罵られたままだったかもしれません。
彼の妻になったことで、日々その思考回路や哲学を学び、ちょっとしたことでも常にアドバイスを受ける環境を得たことは、私にとって大きな幸運だったと思います。
一時期は彼に追いついたかと思ったこともありましたが、帰国してからは、再び差が広がったように感じています。
この2年間、私が些末なことで停滞している間、彼は余計なことに惑わされることなく、自分の目標に向かって着々と前進し、仕事を展開していきました。
しかもそれを、家庭内で生じる様々な課題に正面から向き合い、それぞれ時間をかけて対応しながら成し遂げているということに、驚嘆するばかりです。
「もっと私がしっかりとしていれば、彼の仕事はもっと進んでいたかもしれない」と、つい考えてしまいますが、彼がそのように言う事はおそらくないでしょう。
子ども達
また、私のような人間を母と慕い、常に優しさを持って接してくれる子ども達にも、感謝してもしきれないと感じています。
毎日彼らから「ありがとう」という言葉をもらう度に、「こちらこそありがとう」という気持ちでいっぱいになります。
この気持ちの全てを相手にうまく伝えられるかどうか……かなり難しいかもしれません。
けれども、死別の際に後悔しないよう、これからも毎日、伝える努力を続けたいと思っています。
今年もよろしくお願いします。
2025年1月