Chairと話した翌日、私は最近考えていたことを夫に尋ねてみました。
「もう帰国後の仕事は決まっているけれど、2,3年後とかにアメリカに戻ってこれないかな?」
夫は帰国後に昇進が決まっていますが、私の場合はそれとは違う処遇が待っていそうです。
一方、アメリカの今の職場からは自分の事を高く評価してもらっており、私がここで頑張りたいといえば、しっかりとサポートしてもらえるでしょう。
アメリカで働く事について、夫からの返事
夫はしばらく考えたあと、静かに口を開きました。
「君の気持ちはよくわかる。
僕でさえ、あの閉鎖的な社会に戻ることが嫌だなという気持ちはある。
君の性格にはアメリカの社会の方があっていると思うし、ここの人達と働いていた方がストレスも少ないと思う。
それに日本はもう20年以上経済停滞から抜け出せていないし、人口減少はこれから数十年間は続く事が予測される。個人の事だけ考えれば、国力の低下し続ける日本で研究するよりも、資金力のあるアメリカでやる方がメリットが大きいと思う。」
彼はそこで一呼吸おきました。
「ただ僕たちは、それについて準備をしてこなかった。
僕たちの今の年齢から挑戦しても、うまくいかない可能性が高いと思う。
それに僕の場合は、英語が苦手だし、人とのコミュニケーション能力にも自信がない。
今は責任のない立場だから気楽だけど、僕自身は、アメリカで研究を続けて今後十分なポストがとれるという保証はない。
君だって、今の職場の人達は君のことをすごく買っているけど、だからといって君が将来ここで成功できるかどうかの保証にはならないだろう。」
彼は続けました。
「君には、僕が選択した道をずっとついてきてもらって、そのせいで辛い思いもさせてきた。それが僕にとっても辛かった。
これからは、僕がいるからって同じ大学で働く必要はないと思っている。
君も僕も、それぞれいいポストがあればそれにアプライするべきだし、それで多少お互い遠いところに住むことになってもそれはそれでしょうがないかと思う。
ただ、アメリカと日本は遠すぎる。
将来ポストを考える上でアメリカのポストも選択肢に入れる事はあるけれども、少なくとも僕が君についていってアメリカで職を探すという事はない。
君が僕より仕事を優先してアメリカで働くのは構わないが、日米で離れて暮らした状態で、どこまで夫婦関係を維持できるか、僕にはわからない。」
彼の意見は予想通りで、もっともな内容でした。
このように冷静に状況を判断し、その中で最善と思われる選択肢を選んでいく……彼は、これからも日本で周囲からの信頼を得、敬意を払われるでしょう。
渡米前の自分を取り巻く環境
私は元々臨床医の仕事が好きでした。
大学院へは進みたいと思っていましたが、当時、こんなに長く研究の仕事を続けるとは思っていませんでした。
一方、修練医の頃に出会った今の夫は、当初から研究者になりたいと話しており、私も夫について彼の出身大学の大学院を受験しました。
大学院に入ってから、私の立ち位置は常に「○○先生の奥さん先生」でした。
研究でいくつか賞もとりましたが、「○○先生のところは、奥さん先生も結構やるらしい。」という感じの評価だったように思います。
妊娠・出産中の女性大学院生に対するサポート体制は充実しておらず、私は悪阻や出産時のたびに実験中のマウスを縮小し、肩身の狭い思いで同僚にラインの維持だけをお願いしていました。
出産後に再びマウスの数を増やして、実験を再開していましたが、時間的には非常に遅れをとってきました。
ただし、そのような状況下でも頑張っていた事は、研究成果という評価項目には含まれません。
3人目の出産を考えていると上司に話したときには少し驚かれ、「なんというか……先生は欲張りなんですね。」と言われました。
私は、もっと自分のような人間に対するサポート体制が充実していたらなーとは思っていましたが、自分に対する評価を不当だと感じた事はありませんでした。
それが「仕事」というものだと思っていたからです。
渡米後の自分を取り巻く環境
ところが、アメリカにきてから、私への周囲の対応は変わりました。
ここでは、私の事を「○○の奥さん」という目で見る人はいません。
私は私で独立した一研究者としてみんなに接してもらい、3人の子育てをしながら今の仕事をやってきた事は、むしろプラスの印象として称賛されました。
そして、ここで求められる言語コミュニケーション能力と瞬発力は、私の得意とするところでした。
私は、自分の力を発揮し、周囲から認められていきました。
一方、その2つを苦手とする夫は、私とは逆で、日本で受けていたほど周りから敬意を払われる事はありませんでした。
日本でどうして夫の方が身分が上だったのか、不思議に思われる事もありました。
帰国が決まった時
そして帰国が決まって、日本の元の職場に帰る事になり、私達の立場もまた元に戻ることになります。
ただ、夫は帰国後にさらに昇進が決まりましたが、私が最初に言われたポストは渡米前と同じ研究員で、正直ここまでは予想していませんでした。
色々な理由があるにせよ、まさに今ラボPIが懸念していたとおりのシチュエーションのように感じました。
断書 本記事は、少し前、私の身近な人が他界する前後に書き溜めていたものです。 遺族の許可を得て投稿しておりますが、ここに書かれていることはすべて私の主観を元に書かれており、事実と異なる可能性もある点をご了承ください。 & …
これでは予定していた国際グラントに応募できないので、せめてグラントに応募できるようなタイトルをつけてほしいとお願いしたところ、お願いは通りましたが、相手側には「要求の多い人間」だという印象を与えてしまいました。
ただでさえ女性が何か発言すると「気の強い女性だ」という印象を与えてしまうので、自分の言動にはずっと気をつけていたのですが、アメリカ在住の4年間で、私はその感覚が鈍ってしまったのかもしれません。
仕事を進める上で重要となってくる「周囲からの評価」
自分軸がしっかりしていれば、他人からの評価などはどうでもいい、というのが自己啓発本がよく唱えるところだと思います。
ただ一方で、今後自分たちのポストは他人からの評価で決まり、そしてそれによってできる研究内容も変わってくる、という現実があります。
自分達は変わらなくても、周りの環境が違うだけで自分達への評価が180度変わるという事を、私達は知りました。
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とまあ、個人的に色々と思うところはありますが、「郷にいれば郷に従え」。
日本の特色に配慮した言動を心がけ、私はこれからやっていかなければなりません。
自分の歩んできた道と、これから歩む道
もし結婚前にアメリカに来ていたら、私はそのままアメリカで仕事を続けていたと思います。
アメリカに来てから夫の仕事がうまくいかず、彼に気を使って仕事をセーブしていた時も、「一人だったらもっと色々挑戦したい事があるのに。」という気持ちがありました。
もし私と夫の性別が逆だったら、今回、私達家族は帰国という選択をとらなかったようにも思います。
けれどもそれ以前の前提として、私は結婚し、夫の考えに賛同し、夫の影響を大きく受けて、私は研究の道を歩き始めました。
中学の頃から国外に出てみたいとは思っていましたが、それ以上に医者になりたいという思いがあり、受験勉強を優先して留学はしませんでした。
大学に入ったら入ったで、部活の大会を優先して、夏休みなどに海外に行ってみる、という事も考えなくなりました。
夫との結婚がなければ、研究者になり、今回アメリカにきて研究することはなかったかもしれません。
全ては自分が選んできた道なのです。
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時々ふらつく事はありますが、自分にとっての優先順位は何かを常に考えながら、その上での最善の選択肢を、これからも選んでいきたいと思います。